2015年10月9日金曜日

ドローン・オブ・ウォー

知らなかったのですが、「ドローン・オブ・ウォー」映画が放映されているようです。

その評を公開
http://blogos.com/article/138064/



イーサン・ホーク主演の本作「ドローン・オブ・ウォー」は一風変わった戦争映画だ。
米空軍のトミー・イーガン少佐は、毎日中東の憎むべきテロリストらとの戦いに明け暮れている。ところが彼には撃墜される危険もなければ、拉致されてカメラの前で首を切り落とされる恐怖もない。任務が終われば、愛車を走らせ妻子の待つ郊外の庭付き一戸建てに帰っていく。彼が戦闘機ではなく、ドローンを操縦しているのだ。
この映画が教えてくれるのは、シュールな、けれど恐ろしい現代の戦争の姿だ。イーガンはエアコンの効いた快適な個室から、はるかかなた中東に潜む標的を、3000m上空から撮られた驚くほど精巧な映像をとおして一掃していく(原題の"Good kill"は「一掃する」の意)。
この映画が巧みなのは、あえて、現地中東の映像が一度も流れないということだ。映されるのは、あくまでもドローン越しに撮影された遥か彼方からの中東の絵であって、それは中東に「いる」ことにはならない。われわれ鑑賞者は、イーガンが中東のリアリティを感じられない場所から中東の人々を殺めていく、という特異な体験を追体験することになる。
イーガンには帰る場所がない。彼が帰っていくのは、隣と隣の見分けがつかないような家々が立ち並ぶ住宅地で、待っているのは作り物のようなブロンドの妻、そして週末のBBQ。それらは「羨ましいようで全然羨ましくない」家族像である。イーガンの帰る場所はそこではないのだ。
イーガンが恋しく思っているのは、実は空だ、彼は恐怖が懐かしいという。彼が中東で自由に空を飛んでいたとき、相手を撃墜することがあれば、相手に撃墜される恐怖もあった。いまは前者しかない。そのリスクの等価交換が崩れたことが、かえって、彼の精神を蝕んでいくこととなる。
今年前半には、同じイラク戦争を題材にしたクリント・イーストウッドの「アメリカンスナイパー」が公開された。あちらも骨太な戦争映画だったが、こちらもなかなか。死のリアリティがなければわれわれは生き生きと生きられるのか。いや、そんなことはないということを、この映画は告発している。

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